泡瀬通信施設!泡瀬干潟に囲まれた「泡瀬通信施設」の知られざる歴史

泡瀬通信施設

泡瀬飛行場は、第二次世界大戦中に沖縄県沖縄市(当時の美里村)泡瀬にアメリカ軍によって建設された飛行場。
日本本土を爆撃するために建設され、実際に南西諸島や九州への航空作戦に使われました。
戦後は飛行場としての役目を終え、現在は米海軍の泡瀬通信施設 (Awase Transmitter Site) として使われています。

泡瀬通信施設の周辺に広がる「泡瀬干潟」

在日米軍泡瀬通信施設の歴史を紐解く前に、在日米軍泡瀬通信施設の周辺に広がる泡瀬干潟の魅力についてお話ししましょう。
泡瀬干潟は、沖縄県沖縄市にある干潟および浅海域。現存する干潟や藻場などの浅海域の広がりとしては南西諸島でも最大級の規模を誇ります。

沖縄本島の中部、東側の沿岸にある津堅島、久高島を含むサンゴ礁によって囲まれた中城湾の北部に位置しており、沖縄市の沿岸、在日米軍泡瀬通信施設の周辺に広がっています。
面積は、干潟が290ha、藻場が112haほどの大きさです。

すぐ北側のうるま市の沿岸には、かつて川田干潟と呼ばれた干潟が広がり、泡瀬干潟とともに中城湾北部の浅海域を形成していた。
現在は、2170億円を投じて実施された「新港地区埋立事業」によって大部分が消滅してしまいました。

中城湾の湾口は広く開けていますが、冬の季節風による高波が北東にある勝連半島に遮られているため、湾奥部には広大な干潟が形成されました。

サンゴ礁の礁湖に形成されるタイプの干潟で、温帯地域に見られるような非サンゴ礁海域に形成される干潟とは、底質も生物相も全く異なっています。

また、泡瀬干潟周辺の陸地は、第三紀島尻層群に含まれる島尻層泥岩や、琉球石灰岩に由来する島尻マージと呼ばれる「低島」の土壌で構成されており、河川もほとんどありません。
そのため、同じ南西諸島でも金武湾(沖縄本島)や名蔵湾(石垣島)のように国頭マージと呼ばれる「高島」特有の赤土による干潟とは地質的に大きく異なり、外観上も赤土による赤褐色ではなく、白色から灰褐色をしています。
泡瀬通信施設

泡瀬通信施設

泡瀬通信施設

泡瀬通信施設

沖縄戦の最中に生まれた「泡瀬飛行場」

沖縄市(当時は美里村)泡瀬がある一帯は、1945年の沖縄戦の早い段階でアメリカ軍に占領された地域です。
4月1日に沖縄本島西海岸から上陸を開始したアメリカ軍は3日間で泡瀬を含む東海岸へ到達。沖縄本島を南北に分断して日本軍の動きを制限しました。

占領された泡瀬地域には当初、米軍によって収容された民間人の収容所が設置されました。
ところが、4月23日には第36海軍工兵大隊によって、戦闘機用滑走路の建設に向けた測量が始められました。

6月30日にはアメリカ海兵隊の第33海兵航空群 (MAG-33)が到着、泡瀬飛行場での活動を開始。
泡瀬飛行場を拠点として、沖縄本島周辺の戦闘空中哨戒、南西諸島や九州南部への攻撃任務を行ったことが記録されています。

米軍は泡瀬周辺を下原/シモバルと呼んでおり、1945年4月3日に泡瀬に到達した米軍は4月9日にはそこに米軍政府の司令部を設置。
民間人収容所「泡瀬キャンプ」(シモバル民間人収容所) を開設して次々と住民を送りこみました。

4月13日には住民の数は3247人、9日後には6,200人に達していました。

しかし泡瀬飛行場建設のため、シモバルに収容された住民は5月15日から20日にかけてさらに徒歩で北側の現うるま市高江洲に移動させられた。
またその後も米軍基地の拡大とともに住民は収容所を転々と移動させられた。人々が収容所から解放されたとき、泡瀬の土地の多くが米軍基地となっていた。

「泡瀬通信施設」のあゆみ

終戦によって泡瀬飛行場は飛行場としての役目を終えましたが、1950年にアメリカ海軍と空軍がそれぞれ飛行場の敷地に通信施設を建設。
OTHレーダーが問題化した空軍の泡瀬通信補助施設は1983年に返還され、都市計画がすすめられ、一部は沖縄県運動公園となりました。

現在は、海軍の泡瀬海軍航空隊通信所のみが残っています。

現在、泡瀬通信施設は中城湾に突き出す半島先端の0.552k㎡を海軍が使用しており、第7艦隊との通信などを行っています。

沖縄市は嘉手納弾薬庫や嘉手納基地を含む6つの施設の米軍基地によって東西南北の土地を圧迫されているために、土地連初代会長でもある桑江朝幸が市長時代に泡瀬干潟の埋め立てを含む東部海浜開発構想が策定されました。

しかし泡瀬の浜の埋め立て計画は地元からも大きな反対の声が上がり、泡瀬通信施設の南側に人口島を造成する案となりました。

泡瀬のビックイベント

2018年5年ぶりに開催された大綱引き。
規模がすごい!
この綱引きを開催するために、沖縄市?は中央分離帯を撤去して、綱引きのための大工事を実施した。
その影響でイベントが終わっても中央分離帯が出来上がるまでに1年以上かかったということ。

泡瀬の名物

泡瀬に行ったら一度はいってもらいたいのが沖縄市漁業協同組合 パヤオ直売店。

パヤオってなに?

パヤオ(浮魚礁)は、回遊魚が流木に集まる習性を利用した漁具の一種。
海面に浮かべるブイのようなもの。
沖縄では浮魚礁がパヤオと呼ばれいて、フィリピンから導入ので、現地で「筏」を意味する”payao”がそのまま呼び名として使われるようになった。
そんな名前を取った魚の市場。
沖縄のカラフルな魚を生で見ることができる!
パヤオ直売店
パヤオ直売店

観光できた人はなかなか持って帰ろうとは思わないと思うので、併設する食堂で調理したての新鮮な魚をいただくことができる。

パヤオ直売店
ということで、贅沢に海鮮丼を注文してみた。
ん~
この中で沖縄産の素材は・・・
海ブドウだけ!
もしかしたら、マグロもそうかもしれない。
白身もあったので、それはなんか沖縄っぽかった。
いずれにしても、内地からくる観光客はほぼ皆無では?と思えるような材料。味はまあまあ普通です。
とりあえずは、沖縄の人たちの人気スポット。
ということもあって、わざわざ運んできたものをメインに出すということになっているのか
さもなくば、沖縄の魚を出していたのでは価格があわないのか・・・。

沖縄の食材を味わいたければ、魚バター焼き定食か魚天ぷら定食がおススメです!

パヤオ直売店

そんな泡瀬通信施設を1周してみた動画がありました!

泡瀬通信施設のデータ

泡瀬通信施設
施設の概要(平成25年3月末現在)
所在地 沖縄市(字泡瀬、字高原)
施設面積 552,000㎡
地主数 690人
年間賃借料 668百万円(平成24年度実績)
駐留軍従業員数 4人
施設の管理及び用途
管理 海軍
用途 通信

泡瀬通信施設の倍率

現在のところうちなーらいふ、グーホームともに広告掲載はありません。
金融機関の出している評価表を見るとD地区45倍。3か月前に出ていた物件も概ね50倍程度が多いです。
過去三年間の上昇率はこちらからご覧ください。

泡瀬通信施設はどこの地主会?

一般社団法人沖縄市軍用地等地主会の所管となっています。
所在地: 〒904-0014 沖縄市仲宗根町35-14
電話番号: 098-938-5172

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