キャンプ・シュワブ│岸田総理誕生 「キャンプ・シュワブ」に隣接する「辺野古問題」はどうなる

キャンプ・シュワブ

キャンプ・シュワブは、沖縄県名護市と国頭郡宜野座村にまたがる在日米軍海兵隊の基地です。
キャンプ・シュワブの総面積は、約20.63km2で、名護市の約1割を占めています。
施設・区域の上空2000フィートまで、米軍による使用が認められています。
キャンプ・シュワブ
キャンプ名は、1945年5月7日に沖縄戦で戦死して名誉勲章を受章したアルバート・アーネスト・シュワブ一等兵の名に因んでいます。

基地の名前は戦死した米軍の兵士の名前を冠したものが多く、全部で8施設あります。
ただ戦死しただけではなく、勇敢にたたかったということでつけられていることが多いみたいです。
沖縄戦で勇敢に戦って戦死した人の名前を基地の名前として命名する意味は・・・。
沖縄には自衛隊の基地もあります。
そこには〇×駐屯地みたいな名前で地名がほとんどです。
同じ戦いで、沖縄の方も多数戦死しています。
勝った負けたは別として、日本人が勇敢に戦ったあと戦死しても記念館の名前にもなっていない気がします。
なぜこのような名前の付け方をしたでしょうか?

戦艦や空母の名前もそういったつけ方が多いのでアメリカの文化なんでしょうかね?

・キャンプゴンザルべス・・・・ハロルド・ゴンザルべス一等兵
・キャンプシュワブ・・・・・・・・アルバート・アーネスト・シュワブ一等兵
・キャンプハンセン・・・・・・・デール・マーリン・ハンセンニ等兵
・キャンプマクトリアス・・・・ロバート・ミラー・マクトリアスJr二等兵
・キャンプコートニ―・・・・・ヘンリー・アレックス・コートニ―Jr 少佐
・キャンプバトラー・・・・・・スメドリー・バトラー将軍(後に反戦運動家)
・キャンプフォスター・・・・ウィリアム・アルバート・フォスター一等兵
・キャンプキンザー・・・・・エルバート・キンザー伍長

キャンプ・シュワブの歩み

1945年4月5日、米軍が辺野古にあった日本軍潜水艦基地を占領、辺野古区長崎原に駐留部隊基地を設営したのが、キャンプ・シュワブの始まり。
6月には思原と下福地原に捕虜となった伊江村、今帰仁村、本部町の住民を集約して移送、大浦崎収容所が設営されました。

1955年1月28日、朝鮮戦争の勃発を機に、琉球列島米国民政府は久志村に対し辺野古岳と久志岳一帯で実弾演習を行う旨を通告する。
森林の立ち入り禁止や火災で阻まれることに強い危機感を持った住民は演習に反対し、米民政府は3月4日に演習地計画を中止。

しかし米軍は7月22日に、今度は山林を接収する通告。
米民政府の土地係官が、「これ以上反対を続けるなら住民が住んでいる集落地域の強制立ち退きも辞さない」そう迫るも、本島で強制接収が相次いでいた当時の実情を視察して土地委員会はインフラ整備や保証費の条件を交換条件として受け入れることで宜野湾市の伊佐浜や伊江島のような「銃剣とブルドーザー」として知られる形の土地の強制接収を回避しています。

キャンプ・シュワブは国道329号から西海岸に立地するキャンプ地区と、海岸段丘から辺野古岳と久志岳にわたる訓練地区(中部訓練場)からなります。
キャンプ地の北側には辺野古弾薬庫が、また訓練地区の南側はキャンプ・ハンセンと隣接しており、沖縄本島中部を分断する広大な中部訓練場の北側部分を構成しています。

キャンプ・シュワブの任務と地元との親交

キャンプ・シュワブの任務は訓練施設の整備と運営を行い、部隊配備プログラムに参加している歩兵部隊、戦闘強襲大隊、偵察大隊に施設を提供し、サポートすることです。
また、第3海兵兵站群が辺野古弾薬補給所を運営しています。

その一方でキャンプ・シュワブ訓練場では、昼夜を問わず実弾射撃訓練や廃弾処理及びその他訓練が行われており、大きな爆発音が日常的に発生しています。
また、同訓練場内には複数のヘリパッド(着陸帯)が存在し、これらを利用したヘリコプター及びオスプレイによる離着陸訓練も行われております。

学校や住宅地上空を低空で旋回飛行するなど、周辺住民に多くの不安を与えています。爆発音は100デシベルを超えることもあり、80デシベル以上の騒音については、1日100回以上を記録したこともあります。

キャンプ・シュワブでは2002年より、基地内にある教育センターで地域社会人に英語講座を毎週提供しており、受講者の延べ人数はゆうに1000人を超えています。
イースター、ハロウィーンやクリスマスなどのアメリカのイベントやスポーツ交流で地元児童や父兄を基地内に招待したり、一般公開のフェスティバルなど、一年を通してさまざまな地域交流プログラムを実施しています。

またキャンプ・シュワブは辺野古区第11班として地元住民と共に辺野古ハーリー、辺野古運動会、沖縄すもう大会、大綱引き、名護桜祭などの文化交流プログラムにも積極的に参加して地元との親交を図っています。

沖縄問題にかかわりの深い岸田総理誕生で「辺野古問題」はどう変わる

名護市辺野古は、キャンプ・シュワブから目と鼻の距離。
今年4月12日で日米両政府が米軍普天間飛行場の返還に合意してから、25年。
しかし、名護市辺野古への移設を巡る国と県の対立により、実現の見通しは立っていません。

そんな中、9月29日に行われた自民党総裁選挙で岸田文雄氏が勝利。岸田氏が総理大臣になることで、基地移設問題はどうなっていくのでしょうか。
第100代内閣総理大臣岸田文雄
9月30日の「琉球新報」では、岸田氏のこれまでの基地移設問題への取り組みについて、こう記しています。

「外相時に辺野古推進 自民新総裁の岸田氏、沖縄とのかかわり 担当相で振興担う」
岸田文雄氏は2007年の第1次安倍改造内閣と、続く福田内閣で沖縄担当相を務めた。
沖縄科学技術大学院大の実現に力を注いだほか、米軍普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古への移設を巡る普天間移設措置協議会に出席し、当時の仲井真弘多知事から移設案の沖合移動など要望を受けた。

現在も沖縄を支援する自民党議員でつくる「美ら島議員連盟」の会長を務める。

第2次、3次の安倍内閣では外相を連続期間として戦後最長の4年8カ月間務め、辺野古移設を進めた。
13年4月には嘉手納基地より南の米軍6施設・区域の返還・統合計画について米側との合意に関わった。

16年の米軍属女性暴行殺人事件では、日米地位協定改定には踏み込まず、米軍属の定義を明確化する補足協定の締結で対応した。
総裁選の本紙アンケートでは、辺野古移設について「日米両政府で唯一合意している移設案で、別案はない」として推進する考えを強調している。

日米地位協定の抜本改定には踏み込まない姿勢を見せた。

「辺野古移設」推進派の岸田氏が総理大臣になることで、今後どんな動きが出てくるのか。注視していきたいところです。

キャンプ・シュワブの概要(平成25年3月末現在)

  • 所在地 名護市(字豊原、字辺野古、字久志、字許田、字数久田、字世冨慶)、宜野座村(字松田)
    施設面積 20,626千m2
    地主数 752人
    年間賃借料 2,639,000,000円(平成24年度実績)
    駐留軍従業員数 242人

    施設の管理及び用途

    管理:海兵隊
    用途:演習場

    キャンプ・シュワブ倍率

    銀行評価倍率はD地区で45倍。
    この周辺はめったにでないエリア。と言われてきたがここのところ専門業者さんが取り扱っているのをよく見る。
    辺野古の問題もあるなか、海沿いの平坦地で居住地区の物件が出たら買いは間違いないと思われます。
    ちなみに今の段階で45倍切っていたらチャンスと思ってよいのでは?
    手に負えない山林もあるのでそこは注意したいところ。

    キャンプ・シュワブ物件情報

    うちなーらいふ、グーホームの掲載は下記の2件。
    専門会社のサイトではぽちぽち見ることができます。

    グーホームで辺野古物件を一件発見しました!49倍です。
    うちなーらいふで辺野古物件を一件発見しました!40倍です。
    40倍資料取り寄せてみましょうww

    ちなみに冷やかしではありません。
    私の知人が1億円程度の予算で探しているため、真剣に探しています。
    地主さんいらっしゃいましたら是非お声がけください!

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