キャンプ・フォスター│返還が進む 海兵隊の駐屯地「キャンプ・フォスター」

キャンプ・フォスター

キャンプ・フォスターは、沖縄本島中部に位置するアメリカ海兵隊の駐屯地です。
沖縄市、宜野湾市、北谷町、北中城村の四市町村にまたがり、基地名の「キャンプ・フォスター」は、名誉勲章を受章したウイリアム・フォスター 1等兵の名前に由来しています。

いまだに米陸軍当時の名称で「キャンプ瑞慶覧(ずけらん)」と呼ぶ人もいますが、1975年に米陸軍から米海兵隊に移管した際に、基地名も変更されています。

キャンプ・フォスターに隣接するキャンプ・レスターは、軍人やその家族の住宅地として使用しています。
ちなみにキャンプ・レスターの名は、沖縄戦で活躍し名誉勲章を受章した病院の実習生、フレッド・レスター1等兵曹にちなんで名付けられました。

波乱に満ちた「キャンプ・フォスターの歩み」そして、北谷城の返還

まずは、キャンプ・フォスターの歴史を紐解いて見ましょう。

1945年米軍は、沖縄戦でキャンプ・フォスターを軍事占領。
北谷町は米軍の上陸地点となり、沖縄戦から現在に至るまで町土の大部分を米軍用地に接収され、現在も町面積の約54%が専有され、住居区域も大きく東西に分断されました。

1955年に米軍は宜野湾村の伊佐浜を銃剣とブルドーザーで強制接収して、伊佐浜土地闘争に発展。物議を醸し出しています。

1972年、沖縄が日本に返還された年にキャンプ瑞慶覧(陸軍)と、キャンプ・フォスター(海兵隊)が統合されます。
1975年機構再編に伴い、陸軍から海兵隊に移管され、名称をキャンプ・フォスターに統一されました。西海岸一帯の米軍基地の返還は、町の悲願です。まず最初に、1981年西海岸地域の細長い地所・ハンビー飛

行場(北前) とメイモスカラー射撃場 (桑江) の返還が実現しています。
キャンプ・フォスター
2015年西普天間住宅地区、約51ヘクタールが返還されます。
さらに2020年史跡・北谷城のある施設技術部地区内・倉庫地区の一部約11ヘクタールが返還されています。
返還を伝える当時の「琉球新報」の記事を見て見ましょう。

米軍キャンプ瑞慶覧の「北谷城」3月31日返還 11ヘクタール 町は公園整備目指す

2020年1月7日 (琉球新報)
日米で返還が合意されている沖縄県北谷(ちゃたん)町内の「米軍キャンプ瑞慶覧の施設技術部地区内の倉庫地区の一部」(約11ヘクタール)が3月31日に返還されることが決まった。
6日までに北谷町が沖縄防衛局から連絡を受けた。返還地には文化財「北谷城」が含まれ、町は国指定史跡や城公園としての整備を目指している。
同地区の返還は、2013年の「沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」において「19年度またはその後」とされるも具体的な期日が決まっていなかった。

返還後は、国による支障除去を経て地権者に引き渡される。地権者は約140人。
町教育委員会は18年3月~19年12月まで断続的に文化財の立ち入り調査を実施しているが、石積みの保存状態の確認など目視での調査にとどまっている。
返還後、城部分(約6ヘクタール)の北側にある平たん地(約3ヘクタール)を掘削調査し、文化財の有無を調べる予定だ。

「キャンプ・フォスター」の役割と今後

キャンプ・フォスターの任務は基地内の部隊への作戦、運営、モラル、安全そして防衛支援管理です。
キャンプ・フォスター内には、司令部、兵舎や住宅、小中高校、消防署、郵便局、銀行、教会、スーパー、映画館やボウリング場といった娯楽施設など、日常生活に必要なものがほとんど揃っており、1つの街として形成されています。

キャンプ・レスターは沖縄県北谷町にある米軍の住宅専用地域です。
1977年、米陸軍から米海兵隊に移管されました 。
キャンプ・レスターは1996年のSACO最終報告により、大部分の返還が合意されています。
1998年、キャンプ・レスター内に北谷町の庁舎が建設され、
2003年に北谷町庁舎の土地を含む施設の北側部分が返還されています。

基地内からの海兵隊員のボランティアが地元の学校、孤児院、老人ホームなどを訪ねたり、基地内のフリーマーケットやフェスティバルなどで住民を招待し友好関係を深めています。

キャンプ・フォスター概要

所在地 北谷町(字玉上、字桑江、字大村)うるま市(字宮里)沖縄市(字山里、字南桃原)北中城村(字瑞慶覧、字喜舎場、字屋宜原、字島袋、字安谷屋)宜野湾市(字普天間、字新城、字伊佐、字喜友名、字安仁屋)
施設面積 5,957千m2
地主数 5,147人
年間賃借料 8,538,000,000円(平成24年度実績)
駐留軍従業員数 2,404人
施設の管理及び用途 管理:海兵隊
用途:兵舎

キャンプ・フォスター倍率

銀行評価倍率はD地区で45倍。
ネットでいろいろと探してみると、場所によっては45倍程度も存在する。
概ね50倍~ 高くても55倍。
返還予定地ではあるが、現在も住宅として使われているし、トップ写真で使っている写真のあたりはすでに返還されており
巨大ショッピングモールができるという話。
このあたりが売りに出ていたころは、30倍程度だったということなので、ここを持っていた人は化けたに違いない。
返還されてもここに住んでいた人たちの家は必要になるので、投資物件としてのマンション用地になったり、軍人向け戸建て賃貸になるということを考えると長期保有もありかもしれない。

キャンプ・フォスター物件情報

うちなーらいふ、グーホームへの掲載はありませんが専門会社のサイトではぽちぽち見ることができます。

軍用地研究会メンバー募集
  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。

不動産投資はここで決まり!