軍用地とは

沖縄の軍用地とは?

「軍用地」と聞いて、どんな土地を思い浮かべますか?

沖縄県内で米軍が基地として使用している土地の他にも、自衛隊の基地、さらには国土交通省が管理している那覇空港用地も「軍用地」として数えられます。

その「軍用地」のなんと70%が沖縄県に集中。飛行場、演習場、後方支援施設などの在日米軍専用施設の総面積は、およそ185平方キロメートル。
これは東京ドームなら、およそ4000個分に相当する広さ。日本の国土面積のわずか0.6%に過ぎない沖縄県に、これだけ日・米軍の軍専用施設が集まっていることは、驚くべき事実です。
沖縄本島にある軍用地の面積は、本島の面積の約15%。
北部にある、北部訓練場などはほとんどが森林の中にあるため、あまり広さを感じることはありませんが、中部にある嘉手納基地び広さはを一周してみるとよくわかります。
嘉手納基地↑嘉手納基地の空撮写真。
↓沖縄県が出している本島にある軍用地。
観光で来ているみなさんは、本島の沖縄を見ることができません。
この赤い部分を合わせると、東京都の中心部のほとんどがスッポリと埋まるくらいの広さになります。

沖縄にある軍用地

アメリカ政府とのバトルの末に勝ち取った「軍用地」誕生秘話

ここでまず、「軍用地」の歴史を振り返ってみましょう。

米軍が日本に軍事基地を持つようになったのは、1945(昭和20)年。敗戦後、旧日本軍の使用地をそのまま使う形で始まりました。
しかも米軍の調達命令(PD=Provide Directive)一つで、飛行場など軍事施設ばかりではなくホテルや劇場、さらには住宅までも有無を言わさず接収されてしまいました。

米軍によって強制接収された土地は、1952年「対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)」の締結まで土地所有者になんの対価も支払われないまま、強制使用が継続。
しかも講和条約によって日本本土は占領から解放されたものの、沖縄はアメリカに占領支配されたまま。

生まれ育った土地をなくした人たちは、米軍によって自分の土地を強制接収された住民に割り当てられた「割当土地」に住まいを移されることになりました。
沖縄の住民にとって「軍用地」は、感情のやり場のない理不尽な経緯があったのです。

戦中から戦後にかけて米軍が囲い込んだ土地は、沖縄本島のなんと41%にものぼり、生まれ育った土地を追われた地主は5万人にも及んだと言われています。
そんな窮状を見かねて立ち上がったのが、沖縄県軍用地等地主会連合会(通称「土地連」)の初代会長を務めた桑江朝幸です。

桑江は「アメリカは速やかに米軍が使用している土地の地料を払うべき」と住民の権利を主張して県内を巡り、財産権復活を目指す運動を展開。3700人分の署名を集めて、時のヘイドン長官に地料を求め、米軍の軍用地料支払いへの道筋をつけます。
ヘイドン長官

こうした機運が高まる中、アメリカ政府は突然「軍用地料一括支払い」の方針を打ち出します。
これに対して「土地連」はすぐに反対を表明。1954年には「軍用地の適正地料支払い」を巡って審査が始まるもその矛盾点が浮き彫りとなり、マスコミを通じて日本はおろか全米でも報じられ、広く論議を呼ぶこととなりました。

ところが翌年、アメリカ政府は、プライス調査団を派遣。現地視察の上、プライス調査団は沖縄サイドに「地料の一括支払い」と「新規接収の受諾」を勧告しました。
しかしこれに対して、米高等弁務官が立法院議員議長室で「一括支払いの中止する」ように指令。

1958年にはアメリカ政府のブース高等弁務官より、「アメリカ政府は一切の期限付き土地保有権を破棄」「これらの土地を使用するために地料を毎年支払う」との声明を発表。
桑江は、その後も地料を2倍に引き上げるなど沖縄住民の財産権の回復に尽力しています。

沖縄「軍用地」の特殊性 「普天間飛行場」を始め、波乱含みの県内移設

沖縄の米軍基地は「強制摂取」された民有地、公有地がほとんど。

主なものを上げると青森県の三沢空軍基地、東京都の横田空軍基地、神奈川県の横須賀海軍基地、山口県の岩国海兵隊基地、佐賀県の佐世保海軍基地と沖縄県の米軍基地群。
ところが、本土の米軍基地の大半が戦前の旧日本軍の基地をそのまま使用してきたため、土地の所有者に対して地料を払うケースは稀です。

そういった意味からも、沖縄の「軍用地」は特殊なケースといっても過言ではありません。
さらに沖縄の「軍用地」に注目が集まるきっかけとなったのが、2013年に日米両政府が合意した「沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」にあります。

この計画は、人口の多い嘉手納飛行場以南にある米軍6基地の各施設を再編統合。空いた土地を順次日本に変換するというものです。

すでに2013年「牧港補給地区」、2017年「普天間飛行場」(東側沿いの土地)などいくつかは速やかに返還済み。
しかし最も注目される「普天間飛行場」に関しては名護市辺野古への移設を念頭に入れて「2022年度またはそれ以降」と明記されてはいますが、果たして移設がすんなりと行くのか。
疑問視する声も上がっています。

2018年の県知事選挙では「新基地建設反対」の民意がしめされ、2019年に行われた「辺野古沖の米軍新基地建設に必要な埋め立て」の賛否を問う県民投票では「反対派」が投票総数のおよそ70%を占め、「新基地建設反対」の民意がより明確に示されています。

しかし政府は、この結果を一蹴。すでに返還計画は、日米両政府の合意済みではあるものの、当事者である沖縄県民は納得しておらず、危惧する声が上がるのも当然のことです。

対象となっている基地の大半は、県内に移設、集約の上返還されることとなります。移設をスムーズに進めるために大切なことは、受け入れ先施設との十分な信頼関係。
それを実現させるためにも大胆な地域振興策が期待されています。

「軍用地」はリーマンショックを経て、確実に資産を増やせる投資として資産価値アップ

2015年、沖縄県軍用地等地主会連合会(通称「土地連」)は、「報告書 軍用地料が沖縄県経済へ及ぼす経済効果」を発表。

その報告書によると、沖縄県内で提供されている自衛隊基地を含む「軍用地料」は900億以上
しかも地主へ払われる「軍用地料」は消費支出や事業投資に使われるなど経済への波及効果も大きく、その経済効果は1647億円にものぼると報告されています。

さらに「補償」の意味合いの強い「軍用地料」は、毎年確実にアップしており、沖縄の本土復帰以来、45年間でなんと10倍になっています。
しかも、代替わりを繰り返すうちに、相続税が支払えない地主が「軍用地」を手放す場合も多く、2008年のリーマンショック以降、本土投資家の利殖の対象として注目を集めています。

「軍用地」の人気の秘密は、一体なんでしょうか。1985年から1990年頃にかけて起きた「バブル景気」を思い起こしてください。
当時の銀行の金利は「普通預金2%」、「定期預金8%」。今の時代と比べると数十倍から数百倍の金利に当たります。

しかし当時は、軍用地投資そのものの人気も今ほど高くなく、今や人気の「嘉手納飛行場」も当時の利回りは5%程度。
バブル時代の投資としては「軍用地」を買うよりも株を買った方が儲かることは一目瞭然でした。

2008年のリーマンショックによって株価が暴落すると、経済危機でもほとんど影響を受けずに地代が上がり続ける「軍用地」は、株や収益不動産を持つよりも安全性が高く確実に資産を増やせる投資として資産価値はうなぎのぼり。富裕層からも注目を集めるようになっていったのです。

その結果、沖縄では「軍用地主」は「お金持ち」と囁かれ、「先祖伝来の土地を強制的に摂取された悲劇の地主」が今や一変。
働かずして、黙っていても国からお金がもらえる基地利権に群がる地主への風当たりは強く、羨望と妬みの目で見られることもしばしば。

2017年に公開された参議院議員の「資産等報告書」において当時1回生議員だった元SPEEDの今井絵理子議員が、嘉手納飛行場や航空自衛隊那覇基地の軍用地主(資産総額9899万円)であることが明るみに出て、バッシングに晒されたことは記憶に新しいところです。今では、「軍用地の地主」であることを隠す地主も多いとか。時の移り変わりを感じさせます。

相続対策として、安定利回りとして注目

ここ数年の利回りを計算すると50倍だと2%なので、不動産投資としては魅力的なものではありません。
しかし、値上がりこそしても決して値下がりしない軍用地は、長期保有にはもってこい。銀座の土地を買うより手間暇がかからないという富裕層も多数いるということです。
さらに、相続税対策としての価値は都心の土地を持つよりはるかに効果があることは間違いありません。
さらに、流動性。いざとなった時にどのくらいの速さで売却できるかも大きな問題になりますが、「爪をのばさなければ」「購入時に高値をつかまなければ」購入時の金額プラスαで売却できる可能性は非常に高くなっています。
多くの不動産業者が取り扱いしていますが、売主が相場より高く売っている場合以外は、ほぼ即日完売状態で売れるということです。
そのあたりを見極めることができるかどうかが問題ということになります。

(参考文献)『「軍用地投資」の教科書』(仲里桂一) 『「軍用地投資」入門』(里中一人) 『沖縄の米軍基地と軍用地料』(来間泰男)