今月12日で日米両政府が米軍普天間飛行場の返還に合意してから、25年。
しかし、名護市辺野古への移設を巡る国と県の対立により、実現の見通しは立っていない。ところがここにきて、中国の強引な海洋進出への警戒感から県民感情にも変化が見られる。
このシリーズでは、普天間返還合意から25年。様々な問題点に改めて触れてみたい。
今回の問題点は、「普天間飛行場」の墓参り。
宜野湾市によると普天間飛行場内の墓参りは17年前から事前に米軍への「立ち入り申請」が必要。
今年4月11日の「シーミー(清明祭)」には、353人の申請があった。
しかし、「墓参りになぜ、許可が必要なのか?」。疑問視する声が上がっている。
「シーミー」は沖縄県民にとっては、春の一大イベント
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沖縄の「シーミー(清明祭)」は、単なる「墓参り」ではない。
中国から伝来した先祖供養の行事で、墓前に門中が集合して宴を繰り広げる”春先の一大行事”でもあるのだ。
墓は先祖の家。自分たちの家や土地の神様に感謝するのと同じように、先祖の家である墓の土地の神様にも感謝の意を示すというわけだ。
では「シーミー」とは、一体どんな行事なのかを、まずは見てみよう。
「墓の神様を代表して、墓の上座(右側)の『セジャイヌ神』に線香12本とクバンチン(神様のお金)を供え、先祖が心安らかに眠れていることに感謝しましょう。
それから先祖に線香とウチカビ(先祖のお金)を供えて、重箱料理を囲んで大宴会。墓前で大勢の子孫が笑い楽しむことで墓所の土地が活気付き、ヤナムンなどの悪い霊を寄せ付けないと言われています」(テレビ局記者)
しかも大きな門柱に属している家は、ムートゥーヤー(本家)の墓参りも行うため、「シーミー(清明祭)」の期間、新暦4月5日から2週間の間、週末ごとに一族でバスを貸し切り、墓から墓へと大移動する家も珍しくない。
「墓を移したら”負け”」沖縄県民の心意気
春の一大イベントであり、先祖崇拝の聖地でもある墓への立ち入りになぜ、許可書が必要なのか。
しかも「立ち入り申請」の制度がなかった頃は、車で基地内に入った途端、米兵に銃剣を向けられ、引き返した例もあったという。
「墓参りが自由にできなくなっても、基地の外に墓を移そうと考える人は少ない。
”基地”と”墓”、どちらが後にできたのか。
”墓”を移したら負け。これが沖縄県民のプライドでもあります」(前出・テレビ局記者)
そんな中、普天間の軍用地を巡って、軍用地地主たちの思惑も様々。
次回は、その問題に触れてみたい。次回へ⇒普天間返還合意25年の問題点③「普天間跡地利用計画が上手く進まない理由」
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