今月12日で日米両政府が米軍普天間飛行場の返還に合意してから、25年。しかし、名護市辺野古への移設を巡る国と県の対立により、実現の見通しは立っていない。ところがここにきて、中国の強引な海洋進出への警戒感から県民感情にも変化が見られる。
このシリーズでは、普天間返還合意から25年。様々な問題点に改めて触れてみたい。
今回問題点は、普天間飛行場の返還の時期がわからないために、軍用地を手放すタイミングが見えいと嘆く、軍用地地主の声に耳を傾けてみたい。
中々進まない「跡地利用計画」
沖縄県と宜野湾市は、「跡地利用計画」作りに2007年着手したものの見通しが立たず、2013年に「中間取りまとめ」を策定。
さらに同年から沖縄県は幹線道路、宜野湾市は学校を整備するために返還前から公共用地を確保するために、軍用地の買い取りを開始。
しかし、沖縄県は、目標の68.8%、宜野湾市は65.7%と、進捗状況は必ずしも捗々しくはない。
買い取りが進まないのは「返還される時期が分からなければ、軍用地の地主もいつ手放していいのか判断しかねる」ことが、大きな理由とみられている。
しかし実は行政サイドは、民間における軍用地売買にも問題があると指摘する。
沖縄県・宜野湾市の「軍用地の買い取り」が上手くいかない本当の理由
「投資目的で一般の土地よりも高い価格で売買されるケースが多く、行政の買取価格を上回る場合が多い。さらに民間企業が買い取り後に、小分けして販売することで地主が増え、跡地利用に必要な合意取り付けが複雑化。これによって計画が長期化する可能性もある」(テレビ局記者)
しかしこれに対して、「普天間飛行場の跡地を考える若手の会」からは、異論を唱える声も出ている。
「年上の地主からは、ここまでこじれたら生きている間に普天間は返還されないんじゃないかという声もあります。ならば『このまま土地代をもらっておいたほうがいい』という考え方も理解できます」(前出・テレビ局記者)
2013年に発表された米軍嘉手納基地より南の施設・区域に関する統合計画では、「2022年度、またはその後」と先送りにされ、移設先の名護市辺野古の新基地工事では、軟弱地盤が発覚。
辺野古の新基地完成は、早くも2030年半ばとみられる。
これでは軍用地の地主たちがそう考えるのも、致し方がないのではないか・・・。
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