沖縄の米軍普天間基地の返還が日米間で合意に至ってから、今年4月で25年。”世界一危険な基地”の移設問題は暗礁に乗り上げ、一向に解決の糸口すら見えていない。
世界一危険な基地の実情
「宜野湾市の中心部、およそ480ヘクタールにも及ぶ普天間基地の全面返還が決まったのは、1996年4月のこと。沖縄県内での基地移転は、県民の根強い反対を受け、合意当初は5年から7年とされた普天間基地の返還期限はいまだ守られていません」(テレビ局記者)
宜野湾市は那覇市の北およそ10キロメートルにあり、普天間基地は2700メートルの滑走路を持ち、嘉手納基地と並んで沖縄におけるアメリカ軍の拠点。それゆえに沖縄復帰後の事故発生件数は、沖縄県内米軍航空機事故の内、およそ35%を占めている。
現在も米海兵隊の輸送機MV22オスプレイなど58機が配備されているほか、F15やF35など所属外の戦闘機も度々飛来して訓練を実施。その軍用機が学校や病院、住宅街をかすめて飛ぶため、基地周辺の住民およそ4200人が騒音への賠償や早朝・深夜の騒音発生の差し止めを求めて、昨年12月には3度目の裁判を起こしている。
遅々として進まない辺野古沿岸部への移設計画
その一方で2006年の日米合意に基づき、政府はおよそ2年前、海への土砂の投入を開始。しかし、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブの沿岸を埋め立てる移設計画も遅々として進んでいない。
「およそ2年前、政府は海への土砂の投入を始めましたが、埋め立て予定地は水深も深く海底に軟弱な地盤も見つかっています。しかもその改良工事に必要な承認も現在の玉城知事から得られる見込みもなく、完成までにさらに1兆円近い費用と10年以上の時間もかかることが判明しています」(前出・テレビ局記者)
昨年、沖縄県の諮問機関「万国津梁会議」は、「辺野古移設を伴わない普天間飛行場の速やかな危険性除去と運用停止のための方策を検討することは、辺野古施設をこれ以上追求するよりもはるかに近道」として、玉城知事に日米・沖縄の有識者でつくる専門家会議の設立を提言している。
1月4日の仕事始めに際して、玉城知事は「新型コロナウイルスの感染防止対策と経済政策の両立に向けて取り組む」と新年の決意を述べると共に、普天間基地の早期閉鎖返還を求めていく考えを改めて示しているが、果たして解決策はあるのか。
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