キャンプ・ハンセンの「光と陰」 ~軍用地跡地利用を考えるその4~

キャンプハンセン

キャンプ・ハンセンは、沖縄にあるアメリカ合衆国海兵隊の基地。
主として沖縄県国頭郡金武町にあり、主要な軍事施設としては、沖縄本島の北から2番目にあたります。

金武町には、町土(37.76平方キロメートル)の約60%(22.45平方キロメートル)を占める米軍基地があります。

キャンプ・ハンセン、金武ブルー・ビーチ訓練場金武レッド・ビーチ訓練場の3施設です。
キャンプ・バトラーの一部となっていますが、キャンプ・バトラーは基地を意味するものではなく、沖縄の海兵隊施設全体を指す際の呼称です。

この基地は、沖縄戦で戦死し名誉勲章に叙されたデール・マーリン・ハンセン海兵隊二等兵にちなんで命名されています。

キャンプ・ハンセンは沖縄本島中部訓練区域の中核

キャンプ・ハンセンはキャンプシュワブと共に、中部訓練区域の中核に当たります。
射撃場や、実弾射撃訓練のための一連の建物を有し、沖縄本島で実弾射撃が許されている数少ない場所でもあります。

また、キャンプ・ハンセンには極東周辺の軍関係者を短期間監禁するための軍刑務所もあります。

キャンプ・ハンセンを上空から見ると、平地に建物が整然と建っている東側の平野部と、西側の丘陵地帯からなっていることに気付きます。
東側の平野部が国道329号沿いの金武町の市街地に面した「キャンプ地区」であり、西側の丘陵地隊は「キャンプ地区」北西側の恩納村から名護市、宜野座村に至り、「訓練地区」と呼ばれています。

実弾射撃を実施している区域は2005年時点で12ヶ所あります。

『沖縄の米軍基地』(平成20年度版)によると「同施設の訓練区域一帯は沖縄本島有数の森林地帯となっており、木材等生産、水源かん養林の機能を果たしている」と記されており、国、市町村有地の多くは森林。水源の少ない沖縄本島の中で北部に次ぐ森林地帯であるため、ダムが多く建設されその集水域となっています。

施設には売店(PX)、劇場、コンビニエンスストア、2つのジム、The Palmsとして知られる総合エンターテインメント施設があります。
Palmsには2つのレストランと、下士官向けのSNCOと、士官向けのクラブもあります。

キャンプハンセンフェスティバル

普段は渋滞することのないこのあたりもこの時は大渋滞が起きる。
今はコロナ禍で開催が中止されているが、近い将来再開されたときには必ず行ってみるといい。
金武町のホームページには平成30年の渋滞迂回のことがまだ残っている。
キャンプハンセンフェスティバル

キャンプ・ハンセンの歴史は金武飛行場から始まった

米軍基地の主要な部分は、1945年(昭和20年)沖縄戦の最中に日本本土攻撃の前線基地として建設されました。
1945年の4月下旬には、中型飛行機が発着できる金武飛行場が現在のキャンプ・ハンセンに建設されます。

日本の降伏後、金武飛行場は一時放棄された時期もありましたが、1947年の夏頃から実弾射撃の訓練場として再び使われるようになりました。
当時は、現在陸上の実弾演習だけでなく、戦闘機からの爆撃、金武湾に停泊している艦船からの艦砲射撃なども実施されていました。

1952年(昭和27年)4月、対日講話条約によって「占領」は一応終結して日本は独立。
しかし沖縄県は日本から分離され、米軍の全面的な支配下におかれました。

金武町の米軍基地は、朝鮮戦争(1950年~1953年)やベトナム戦争の激化した1960年代から1970年代に強化されていきます。

1972年(昭和47年)5月15日の祖国復帰に伴い、米軍政府の管理下から脱却しても基地の実態は変わらず、半世紀を越えて金武町には米軍基地が存在しています。
現在、金武町には6千余人の米国海兵隊員が駐留し、米軍演習による騒音公害や環境破壊、軍人軍属による事件事故等がたびたび発生しています。

また、広大な土地の接収が、町の振興発展の阻害要因となっているほか、実戦さながらの訓練が教育環境に悪影響を及ぼすなど、さまざまな基地問題を抱えています。

このような状況を改善するため、金武町では、国、県及び米軍の関係機関等と連携して演習被害の軽減、事件事故の未然防止、基地経済からの脱却を図っています。

たとえ返還されても、様々な問題が山積みの軍用地跡地利用問題。
この問題を少しでも理解するために、軍用地跡地利用問題に関する興味深い「論文」をここで、抜粋して紹介しておきましょう。

「沖縄軍用地の過剰開発プロセスにおける自治体の役割」by難波孝志 (第四回)

軍用跡地利用における国・県・自治体の関係

今回は、返還跡地再開発の法的経緯について、つまり沖縄県の戦略と国の対応について辿ってみましょう。
本土復帰以前、沖縄県では軍用地として米軍に奪われた土地をめぐって「島ぐるみ土地闘争」を展開。
1972年以降は、国に対して基地の整理縮小、本土との差是正、本土依存からの脱却、自立などの策を講じてきました。

そして 1995 年以降、沖縄県はかつての戦争と基地の存在への補償を沖縄振興計画に組み込んで、逆手にとるようになります。
1995 年には、村山政権下において「沖縄県における駐留軍用地の返還に伴う特別措置に関する法律(返還特措法または軍転特措法あるいは軍転法)」が施行。

その契機は、那覇新都心地域の再開発、返還後の土地に対して軍用地料が支払われるわけでもなく、一向に再開発が進まない軍用跡地に対して、利益を生みだすまでの間、軍用地料相当の補償をすべきであるという動きが起きて、県や地主会の意向を国が認めます。

次に大きな変化が訪れるのは、前述の2002年の「沖縄振興特別措置法」(第 4 次)の施行です。

この法の最も大きな改正点は、軍用跡地に対する国の財政支援の措置規定を盛り 込んだこと。
すなわち、駐留軍用地跡地の利用の促進及び円滑化のための特別措置を規定。

そして、返還特措法は 7 年の時限立法でしたが、この法によってその期限を2012 年まで延長。

返還特措法改正の大きな特徴は、大規模跡地と特定跡地の2つのカテゴリーを設け、大規模な返還に対処(公有地への売却を促進)できるようにしたこと。

そして、地主の補償を決めたことです。

つまり沖縄県は、戦争の負の遺産を解消するためだけではなく、戦略として軍用跡地の活用を始め、ここに先述の基地と沖縄振興のリンクに加えて、軍用跡地利用と沖縄振興のリンクの時代が到来したというわけです。

そして 2012 年、民主党政権時代が到来。返還特措法と沖縄振興特別措置法の2002年追加された特別措置部分を、合体改正整備。
こうして実現したのが「沖縄県における駐留軍用地跡地の有効かつ適切な利用の推進に関する特別措置法(跡地利用特措法)」です。

この法改正の主な変更点は、跡地利用を国の責任で行うことを明記したこと、返還後の支障除去措置を国が行うこと、大規模跡地と特定跡地を一本化して拠点返還地にしたこと、そして軍用跡地を公有地として売却した者には5,000万円までの特別控除を行うこと、さらには返還日から支障除去の期間は利益を生まないので、支障除去が終わって引渡日から3年間へ給付期間が改められたことなどの点です。

つまり、跡地利用には国が責任を持ってさらに財政支援を行い、返還後一定期間軍用地主の生活の安定を保障したのです。

もうひとつ民主党政権下では、2012年の第5次ともいえる「沖縄21世紀ビジョン基本計画(沖縄振興計画)」の中において、交付金の国からのひも付きを廃止し、より自由度の高いものとして、沖縄振興特別推進交付金と公共投資交付金からなる沖縄振興一括交付金を創設。

沖縄振興計画予算は概ね年間約3000億円で、これまですべての交付金が国の意向を反映する形で配分されてきましたが、その半分を沖縄県の自由裁量に任せることにしたのです。

これは、公共事業のためのさらなる用地確保が可能になったばかりか、各自治体にこの交付金を配分する権限を持ったことによって、軍用跡地利用についても圧倒的な主導力を発揮することが可能になりました。 (次回へ続く)

キャンプハンセンゲート前

金曜日の夜に行ってはいけない場所。
給料日のあとの金曜日は絶対に行ってはいけない場所。
昔から荒くれ者が、飲んで暴れて手が付けられなかったのだろう。30年前に訪れた時には日本人は皆無だった。
英語もできないくせに、BARに行って彼らとコミュニケーションを取ろうとしたことがある。
仲良くなって大イッキ大会になり店から放り出された。
そのことは、派手な町だったが・・・。
今も趣はあるが、かなり寂しい感じがする。

金武といえば、タコスの町

ここだけいつでも観光客がいる。
キング・タコス本店
金武に来ることがあったら是非チャレンジしていただきたい場所。

キングタコス
キングタコス


怪しい雰囲気の店も残っていて概ね水曜日と日曜日の夜以外は開いている。
男旅行で来た人たちは是非チャレンジしてみていただきたい。

キャンプハンセンゲート前

キャンプハンセンゲート前

キャンプハンセンゲート前

キャンプハンセンゲート前

 

キャンプハンセンゲート前

キャンプハンセンゲート前

キャンプハンセンゲート前

キャンプ・ハンセン倍率

キャンプ・ハンセンの物件はかなり多く、情報サイトや専門業者のサイトにも掲載が多いエリアではないでしょうか?
ちなみに、金融機関の評価倍率表を見るとF地区で35倍となっております。

キャンプ・ハンセン物件

キャンプハンセン物件
うちなーらいふで探してみると、52倍が一件ありました。
ちょっと高い気もしますが・・・。
ハンセンを買うときに注意したいのが、森林地区。
ここが返還されることはないとは思いますが、ここ3回の投稿でも書いたようにギンバル訓練場は返還され返還地として開発されています。
返還されても、町部に近ければ再開発はありますが、山奥に関しては放置するしかなくなる可能性が大。

なんせ、その昔はこの辺り高速には「銃弾注意」の看板があったといわれている。
実弾訓練が今でも行われているエリアなので、再開発はほぼ不可能。
買うのであれば、ゲート近くの平地がベストではないでしょうか?

キャンプ・ハンセン概要

キャンプハンセン
所在地 所在地:名護市(字久志、字喜瀬、字幸喜、字許田)宜野座村(字松田、字宜野座、字惣慶、字漢那)恩納村(字恩納、字喜瀬武原、字安富祖、字大田、字瀬良垣、字南恩納)金武町(字金武、字伊芸、字屋嘉)
施設面積 51,099千m2
地主数 3,169人
年間賃借料 7,583,000,000万円(平成24年度実績)
駐留軍従業員数 576人
施設の管理及び用途 管理:海兵隊用途:演習場
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  1. ブルービーチ訓練所

    金武ブルービーチ訓練場では日米共同訓練も行われている!

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