2022年前期のNHK朝ドラに、沖縄を舞台にした「ちむどんどん」が決定。
アフターコロナの時代を睨み、沖縄では撮影場所を巡る”聖地巡礼”に、早くも大きな期待がかかっている。そこで、このシリーズでは「朝ドラの経済効果」について、詳しくみていきたい。
今回は、2001年上半期に放送され、再び沖縄ブームを呼び起こした「ちゅらさん」。2003年にNHKで行われた「もう一度見たいあの番組リクエスト」の連続ドラマ部門で、堂々の第1位に選ばれた大ヒット朝ドラを今一度、検証してみよう。
「ちゅらさん」と”朝ドラの三大原則”
朝ドラ64作目にあたる「ちゅらさん」は、2001年4月2日にスタートして9月29回まで全156回。全話平均視聴率22.2%。最高視聴率29.3%。視聴者からも人気が高く、2003年「ちゅらさん2」、2004年「ちゅらさん3」、2007年には「ちゅらさん4」が放送され、朝ドラ史上最長の続編制作記録を更新している。
脚本は、その後も「おひさま」(2011年)、「ひよっこ」(2017年)も手掛けている朝ドラの名手・岡田惠和。ちなみに岡田のルーツも沖縄なのだ。
物語は、沖縄が本土復帰した1972年、「ちゅらさん」のヒロイン古波蔵恵里は、八重山諸島の小浜島に誕生。高校卒業後に上京して看護婦となり働く内に、少女時代に結婚の約束をしていた文也と偶然再会して結婚。その後、精神不安定な息子・和也のために故郷に戻ると、そこで”地域の保健室”のような医療の場を作って、子育てと仕事を両立させるといくという展開を見せる。
では2001年上半期の朝ドラになぜ「ちゅらさん」が決まったのか。
その前に、朝ドラの歴史を少し振り返ってみよう。
「朝ドラの第1作『娘と私』が放送されたのが1961年。始まった当初は家族ドラマを描いていましたが、1964年『うず潮』では、現在の朝ドラのイメージに近い波乱万丈の人生を生きた作家・林芙美子の生涯を描き、”女の一代記”ものがスタート。1966年の『おはなはん』では明治・大正・昭和を駆け抜けたヒロイン(樫山文枝)が人気を博して、朝ドラ人気に火がつきました」(放送作家)
現在まで100作以上作られた朝ドラですが、「おはなはん」以降、30作以上の作品で取り上げて来たのが、太平洋戦争。日本人が経験した未曾有の危機を名もなきヒロインがくぐり抜けていく「朝ドラ」史上欠かせない場面に、視聴者は釘付けになった。
そんな「朝ドラの三原則」と言われるのが、”明るく・元気に・さわやかに”。元々、朝ドラを主に観ていたのは専業主婦たちだが、1985年の男女雇用機会均等法制定をきっかけに、様変わり。三原則が根底にありながらも、時代は昭和から平成に移り変わっていくにつれ、女性の生き方にも変化が訪れる。その辺りのことについては、またの機会にして、話を「ちゅらさん」に戻そう。
沖縄サミットの翌年に放送された「ちゅらさん」の原点は、映画「ナビィの恋」
まず朝ドラの制作プロセスを説明しよう。
「朝ドラと大河ドラマは本来、制作部の幹部がプロデューサーやディレクターといった人たちの座組みを決める。『ちゅらさん』は前年、『沖縄サミット』が行われたことから、上層部から”沖縄のドラマ”やって欲しいというお達しがありました。そこで脚本家の岡田は、深刻な問題も抱えた地域なので、あえてそういう場所でコメディが作れるようなスタッフとやりたいと制作幹部にリクエストしています」(制作会社プロデューサー)
しかも当時、沖縄をテーマに取り上げる番組は、ドラマに限らず”沖縄の特殊性”についてテーマを掘り下げていくもの。そしてもう一つは、”海の綺麗な観光地”沖縄を描く両極端に分かれていた。そこで岡田は、朝ドラとして描くのなら、家族性や人間性にスポットを当てて描く作品にしたいとインタビューなどで答えている。
そこには、1999年に公開され、奇しくも『ちゅらさん』のヒロインの祖母役を演じることになる平良とみさんが主演する「ナビィ恋」の影響が色濃くみられる。
沖縄を舞台にした朝ドラは、朝ドラ史上初。しかも、八重山諸島の小浜島がロケ地に選ばれ、これがやがて大きな経済効果を呼ぶ。そして2084人の応募者の中から、見事ヒロインに選ばれた国仲涼子はじめ、沖縄ゆかりの俳優が数多く選ばれたことも注目すべき点ではないか。
何しろヒロインの生まれた古波蔵家の”おばぁ”こと、ハナ役を演じるのは、「ナビィの恋」を数々の映画にも出演する沖縄を代表する女優・平良とみ。恵里の兄・恵尚には沖縄出身の漫才コンビ・ガレッジセールのゴリ。そして弟・恵逹には沖縄を出生地にあげる今をときめく人気俳優・山田孝之なのだ。
さらに高校の同級生で野球部キャプテンには、小浜島出身の元DA PUMPの宮良忍。さらにヒロイン・恵里が上京した後にアルバイトをする沖縄料理屋「ゆがふ」の主人には、笑築過激団やりんけんバンドでも活躍した”うちなぁ噺家”でもある藤木勇人。
「ゆがふ」の常連客には、BEGINの比嘉栄昇やダチョウ倶楽部の肥後克広。その他にも川平慈英、具志堅用高を始め、まさに沖縄の有名人たちが勢揃い。ちょい役でも気軽に出演したことでも話題を呼んだ。
「地方再生戦略」の先駆けとなった「ちゃらさん」の魅力
よく”朝ドラ”フリークの中では、「朝ドラの見方は『あまちゃん』(2013年)から大きく変わった」と言われる。しかしその前に、朝ドラを大きく変えたのが「ちゅらさん」ではあるまいか。
その理由の一つは、「朝ドラの三大原則」である”明るく・元気に・さわやかに”を踏まえた会話劇が、存分に楽しめること。そしてもう一つは、”生まれた場所で暮らす”魅力を視聴者に訴えかけたことにある。
「政府は2007年に『地方再生戦略』を発表して、地域消滅・東京への一極集中に歯止めをかけようとしていますが、『ちゅらさん』が放送されたのは、2001年。地方に根ざす生き方をドラマで描き、地方再生の進むべき道を示しました。『ちゅらさん』をきっかけに田舎に帰ろうと決心した人もたくさんいたようですよ」(放送作家)
やがて「ちゅらさん」をきっかけに、2002年には福岡放送局が「うきはー 少年たちの夏」を制作。このドラマは日本棚田百景に選ばれる過疎化の進む町の子供たちと、大都会・博多の子供達が衛星回線を使って交流授業を始め、浮羽町(現・うきは市)の魅力を知ってももらおうと奮闘する物語である。当時まだ12歳の福岡市出身の池松壮亮や蒼井優が出演していることでも、後に話題となった。
また2008年には広島放送局が開局80周年を記念して、ドラマ「帽子」を制作。被爆者の高齢化に伴う、被爆体験の風化問題が深刻化。被爆体験を後世に伝えるために、母胎内で被爆した「体内被爆者」をテーマにしたドラマが作られた。脚本を担当しているのが、大河ドラマ「麒麟がくる」を手掛けた池端俊策。そして当時末期ガンに侵され、今作が遺作となった大御所俳優・緒形拳が主演することでも注目を集めた。その結果、ドラマ「帽子」は文化庁芸術祭のテレビ部門に参加して、優秀賞を受賞している。
この「帽子」以降、地元を舞台にしたNHK地方局のドラマが年を追うごとに増えていった。これも「地方再生戦略」を先取りした「ちゅらさん」の功績がとても大きかった。
次回は、「ちゅらさん」ゆかりのロケ地を改めて検証。聖地巡礼を楽しむのと共に、21世紀に入りSNSと朝ドラとの関係を掘り下げながら、「ちむどんどん」のヒットの法則を探っていきたい。(次号へ続く)
(参考文献:「みんなの朝ドラ」木俣冬 著)
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